2018.10.10
涸沢行ってきました! Part2
今回も前回に引き続き、涸沢のお話です。
前回書いた通り、朝は7、8℃くらいで特に寒さに困るようなことはありませんでした。
朝は5時に起床し、モルゲンロートを見る準備を始めました。
モルゲンロートとは、涸沢カール上部の奥穂高岳周辺が、
朝日の明かりによって赤く照らされる現象のことです。
その日は朝、雲一つなく晴天でした。
【朝日に照らされる涸沢】
朝日に照らされて山々は赤く輝き、
空の青色とのコントラストが印象的でした。
【Googlemap】
御覧の通り、涸沢カールは東の方向を向いているので、穂高岳の向こう側からは太陽は登ってきません。
その後、さらに山は赤みを増して、5時半過ぎくらいにピークを迎えました。
【赤く輝く最低のコル】
上の写真は涸沢槍と北穂高岳の間の「最低のコル」というキレット部分です。
美しく赤く、まるで涸沢の赤く紅葉したナナカマドのようです。
【赤く輝く北穂高岳】
上の写真は北穂高岳。
よく見ると頂の下にジグザグに曲がって登る登山道が見えます。
赤く見えるのはほんの20分くらいだったかと思います。
私はこれまで5回くらい涸沢に来ていますが、
内三回は小さいころで記憶になく、4回目は曇っていていまいち。
その時の写真が下のものです。
【前回登山時の涸沢】
今回が念願のものとなりました。
紅葉に関しては来るのが早すぎていまいちでしたが、
晴れた涸沢に滞在することができて幸せでした。
帰り道は、徐々に離れていく穂高連峰に寂しさを覚え、
何度も振り返り写真を撮りました(前日雨で撮れなかった分も含め)。
【奥穂高岳】
屏風岩も前日は雨で全く見えず、スルーしてしまいましたが、
その姿を拝むことができて良かったです。
【屏風岩】
ここで少し、上高地の成り立ちについて書きたいと思います。
上高地はそもそも最初は旧梓川が削ったV字谷でした。
V字谷は主に川底が積極的に侵食されるため、谷底の幅は狭く、深く形成されていきます。
実際に上高地に来るまでの道中に見る梓川の渓谷の深さを考えれば上高地は不自然なまでに傾斜が緩く、底は広い形状をしています。
実際に山岳の奥地に上高地のような地形が形成されることは非常に珍しく、
形成にもしっかりと理由があります。
そもそも昔、旧梓川は岐阜側に流れ出ていました(現在松本市側)。
しかし、1万2千年前に下の写真にある焼岳やアカンダナ山が噴火し、隆起しました。
その結果、旧梓川は消滅。川はせき止められ、今の上高地は湖と化しました。
【Googlemap】
信州大学のチームがある地点でボーリングを行った結果、
旧梓川の川底は今よりも300m下にあったそうです。
上高地が湖だったのはこれまでに3回あり、その間に300mもの厚い堆積層が生まれ、
結果今の上高地になったようです。
細かいことに関しては下に記しました参考元に記載がありますが、
前者の「飛騨山脈の成り立ち」の方が読みやすく、興味深いことが載っているのでお勧めです。
後者は論文になります。
【参考:飛騨山脈の成り立ち】
【参考:上高地盆地の地形形成史と第四紀槍・穂高カルデラー滝谷花崗閃緑岩コンプレックス】
そんなこんなで終了しました今回の登山。
最後に付け加えるとしたら、秋に行くなら帰りはタクシーにしたほうが絶対に良いです。
私は午後3時ころに上高地を出ようと思いましたが、沢渡行きのバスは3時間待ちとなっていました。
タクシーは40分待ちでした。
紅葉真っ盛りだったらどうなっていたのか…
考えるだけでも恐ろしい。
以上、趣味回でした。
ありがとうございました!!
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